私というジャニヲタが出来上がるまで


日々我が自担・渋谷すばるに対して、関ジャニ∞に対して思ってることをつらつら書き連ねるためだけに作ってみました。
Twitterで延々と呟いているのも、見たくない人にとってご迷惑かなぁと思ってブログという形を取った次第です。
本当に私個人の感情を思ったままに書いているだけなので読んだ後の責任は負いません。




一番最初なので私が「渋谷すばる」という人間を好きになるまでを書きたいと思います。



私が本当に人生で初めてすばるくんを見たのは確か中二でした。


クラスに重度の事務所担のジャニヲタ(男の子)がいまして、『ズッコケ男道』を半ば無理矢理見せられたのがすばるくんを知ったきっかけです。
この時点ではメンバーの顔と名前は全く一致していません。


と言うのも、当時私は某ヴィジュアル系バンドのギターにお熱で、所謂バンギャというやつでした。
ヘドバンしたり、デスヴォしたり、咲いたりしていました。
バンギャという人種は(全員とまでは言いませんが)、基本的にジャニーズをあまり好まない傾向にあります。
その例に漏れず、私もその頃は関ジャニ∞、「渋谷すばる」には目もくれませんでした。




次に「渋谷すばる」に触れたのは少し年月は経過して、高一の頃です。


私の席の後ろは比較的ライトな錦戸担で、日々錦戸くんの可愛い話を聞いていました。
何とまぁ、あの男前はそんなに可愛いのかと、その頃には既に「亮ちゃん」と呼んでいたような気がします。
私が「亮ちゃんカワイイ」と言うのは100%その子のせいです。


まぁそこでも私はまだV系バンドを追っていたので沼にはハマらず。




決定的に落ちたのは高三でした。


中三の年に、追っていたV系バンドがメジャーデビューし、この頃にはほぼ邦ロックな曲調に転身。
私が好きだった「青いカラコンで扇情的に、歌謡曲のような懐かしいメロディをギターで掻き鳴らす彼」はもういないんだと思ったらどうしようもなく悲しくなって、高二の時に行ったライブを機にバンギャを上がりました。
他のバンドで埋めようにも約五年間好きだった彼等の代わりになってくれるようなバンドは見つからず。


大学受験まで一年を切り、進路も決めてない、夢も特にないというふわふわした状態に加え、好きなものも無くしてしまった私は部活くらいしかやることがありませんでした。
この部活でも高三の年はいろいろあったのですが割愛です。


この頃の私の趣味は某動画サイトを漁ることでした。
(人から見ると)基本ネアカ寄りなため、引き篭もって〜とかはありませんでしたが、暗い時期があったとすればこの辺かと。


ここで決定的な出会いをしたのです、「渋谷すばる」と。
某動画サイトの関連動画の中に見つけた、渋谷すばる安田章大の『desire』。
日付はもう覚えていませんが、場所は自宅のトイレでした。
引くほど泣きました、自宅のトイレで。
歌詞がちょっとV系寄りだと思ったんですよね、怒られるかもしれないですけど。
私が好きだったV系バンドもこういう女目線の歌をよく歌っていたんですよ。
またこのすばるくんと安田くんのハモリが綺麗なんですよね、ご存知かと思いますが…。


「連れて行くわ何処まででも あなた共」


このパートを歌っていたのがもしも安田くんだったら、私は今頃安田くん担当を名乗っていたかもしれません。
それほど、このパートは私にとって大事な一節だったのだと思います。


「いつかまたねと手を振り合ったけど もう逢うことはないのでしょう」


これは好きだったV系バンドの最後に買ったCDの歌詞の一節です。
有名な曲なので、ここまでバンド名を伏せたのにバレるかもしれませんが。
とにかく、これを聞いて「あぁ、今かなぁ」と思ったんですよね。
たかだか十八年しか生きていない小娘にとって、決して短くない五年間を費やしたバンギャ生活を終わらせるには彼等の歌のせいにするしかないって。
完全にこじつけですよねぇ、分かってます。
でも私もV系が好きな拗らせ女だったので、その辺は許して頂きたいです。
それですばるくんが「連れて行くわ」と歌った時に、いろんなものが昇華されたんです。
連れて行ってほしいなぁと思ったんです。


本当にあのV系バンドは私の全てでした。
バイトが出来なかったので、お小遣いを貯めてCD・DVDを買ったり、ライブに行ったり、日常が彼等で埋め尽くされていました。
確かに彼等が好きだったはずなのに、化粧を落としただけなのに、曲調が変わっただけなのに、簡単にヘソ曲げちゃったんです。
めんどくさい女ですね、すごく嫌いです。


それをすばるくんが救い上げてくれたんです、大袈裟に言うと。
儚くて、切なくて、胸が締め付けられて、自分の気持ちが揺さぶられるような感覚をすばるくんが与えてくれたんです、自宅のトイレで。
初めての感覚じゃなかったはずです、ギターの彼も確かに私に与えてくれていました。
バンギャを上がってすぐは無理に嫌いであろうとしましたが、今ではとても穏やかな気持ちでギターの彼を見ることができます。
「やっぱり今でもかっこいいなぁ」って素直に思えます。
すばるくんのおかげです。
自宅のトイレで、携帯の小さな液晶越しに歌うすばるくんを見たあの日から、私の心はすばるくんに連れて行ってもらえたんです。
そして今も、私の心は、足は、すばるくんに向かって進んでいます。
すばるくんはいつでも、私のずっとずっと先にいて、止まることなく歩み続けてくれます。
だから私も見失わないように、置いていかれないように、走り続けていきたい。


くっだらねえなぁと思われるでしょうけど、これがあって今の(メンヘラな)私があります。




まぁここまでドラマチック(?)なメモリーを書き連ねてみましたけど、高三でまた例のライトな錦戸担と前後の席になったこと、クラスに重度なジャニヲタ(当時JUMP山田担)がいたことも要因の一つだと思います。
とにかくとても楽しかった。
朝に自担の話、体育の時間にもう一回自担の話、昼休みに更に自担の話、放課後にトドメの自担の話、暇さえあれば自担の話。
実に有意義な時間でした。
アウトプットすることで自分の感情をちゃんと整理出来て、すばるくんのことが心から好きだと実感しました。


あらま、いつの間にやら立派なジャニヲタの出来上がりです。


中二の時に勧めてくれたジャニヲタ(男の子)(当時事務所担の山下推し)に謝りたいです。
相手にしていなくてごめんよと。
君も好きな人の話をしたかったんだよねと。
私も今じゃ「すばるくんはこんなに素敵なんだ!」「すばるくんはすごいんだ!」と叫んで歩きたいから。




渋谷すばる」を応援していることは私にとっての誇りです。
ペーペーのひよっこながら、いつもそう思っていますが、昨年はより一層強く感じる一年でした。
味園試写会でたどたどしく言葉を紡いでいたかと思えば一転して力強く歌い上げる雄々しい姿も、ロッテルダムで『関ジャニ∞』と書かれたTシャツを誇らしげに着る姿も、街中で楽しそうに歌い奏でる姿も、メンバーと一緒にアリーナもドームも全力で盛り上げる姿も、私には全てが輝いて見えました。



これからも、いつまでも、光の中を歩んでほしいです。



何だか8割追っかけていたV系バンドの話になってしまいました。
書き直すのにも時間がかかるのでこのままにします。



言いたかったのは「渋谷すばる」はやっぱり私の神様だなぁってことです。終わり。